校則がきらいな大学生のぶろぐ

「おかしいこと」には「おかしい」と言いたい。教育学で、中高生の力になりたい。

先生はもっと厳しい世界で生きている

こんにちは。

バーに行くのが恥ずかしい年頃です。

いがらしです。

ドリンクバーで我慢します。

 

最初の投稿で、「子どもは大人より厳しい世界で生きている」と書きました。

yumaigarashi.hateblo.jp

 「校則くらい守れないと、社会でやっていけないぞ」というような先生の意見に対し、校則の仕組み、構造が「社会のルール」よりずっと厳しい、そんな話を書いたつもりです。

 

「社会のルール」には、「ルールを決める権力」にブレーキをかける仕組みがある。

それが校則にはない。

だから「子どもは大人より厳しい世界で生きている」と言いました。

(※僕はあくまで「ルールの構造」や「仕組み」において「厳しい」と言っています。)

 

じゃあ、先生が言っているような「社会はもっと厳しいぞ」という意見は嘘なのか。

 

そんなことないんです。

「先生にとっての社会」は、校則みたいに「厳しいルール」で縛られています。

 

↓今回の目次↓

 

 

先生もブレーキをかけられない

最初の記事で、「就業規則」(会社が決める「働く人を縛るルール」)を例として取り上げました。

就業規則は会社が定めることができるが、「労働者と会社(使用者)の約束」(労働協約)でブレーキをかけることができる。

 

そんな仕組みの話をしました。

この「労働協約」を結ぶ権利、先生には認められていません。

(私立の先生は認められています。)

第五十五条 地方公共団体の当局は、登録を受けた職員団体から、職員の給与、勤務時間その他の勤務条件に関し、及びこれに附帯して、社交的又は厚生的活動を含む適法な活動に係る事項に関し、適法な交渉の申入れがあつた場合においては、その申入れに応ずべき地位に立つものとする。
2 職員団体と地方公共団体の当局との交渉は、団体協約を締結する権利を含まないものとする。

公立の先生は地方公務員なので、上記の法律にしばられます。

普通の会社員に比べて、持っている権利が1つ少ないということが言えるでしょう。

 

死ぬほどに働いている

給特法(公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法の略)という法律があります。

 

最近の先生らの活動や、昨年の秋の国会でも話題になったので知っている方も多いと思いますが、月給の4%をプラスして支払う代わりに、残業代が出ないという仕組みです。

 

個人的に、この法律の大罪は「いくらでも残業できる」ようにしてしまったことだと思っています。

「この時間に帰らないといけない」というのが無くなってしまったため、莫大な仕事を先生が抱えることを可能にしてしまった。

 

その結果として、度々ニュースで報じられてきたように、多くの先生が「死ぬほどに」働いている。

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文科省HP「学校における働き方改革について」より

(月80時間以上残業すると、労働によって身体への影響を及ぼす可能性(脳や心疾患)が跳ね上がるため、「過労死ライン」と言われているそうです)

やはり、先生は他の労働者よりも「厳しい」立場におかれています。

 

たくさんのルールに縛られている。

先ほども引用したような給特法、地公法の他にも、教育基本法、学校教育法、中確法、教特法、国公法、学習指導要領、同施行規則、服務規程、教育委員会規則、などなど、

教員になることで特別に適用されるルールがたくさんあります。

 

これは、生徒が「入学」したことで、校則に納得して同意したこととされるように、「教員になる」ということで自動的に適用されます。

 

僕は、先生たちが校則を守らない生徒に、「入学してきたんだから校則守れ」と言いたくなる気持ちもわかるんです。

だって、先生たちは「教員になったから守らないといけないルール」に縛られながら働いている。

 

僕はもともと理工学部の化学科で教職課程を履修し、今は教育学科に編入して中学校社会科の教職課程で、教員免許の取得を目指す学生です。

先生になるための授業をいくつか履修してきました。

その中で僕は「守らないといけないルール」のことばかり教わるな、という印象を持っています。

 

教科指導法(授業を作り方を学ぶ授業)では「学習指導要領を守れ」と言われ、教育原論(教育とは〜、とか、教育の歴史とかの授業)でも「服務規程の信用失墜行為が〜」と言われました。

とにかく「ルールを守る」ことを大事なようです。

 

教員になる=ルールを守る

と教わった先生は

入学=校則を守る

と教えるでしょう。

 

先生が守らないといけないルールのうちの1つが、「死ぬほど働く」現状を作っています。

「ルールは苦しくても守るものだ」と教えるでしょう。

 

昨年僕が企画したシンポジウムで登壇した高校生が「校則を変える校則がない」ということを言っていました。

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先生たちもルールを変えるための権利を持っていません。

「ルールは変えられないもの」を教えるかもしれません。

 

先生は死ぬほどに働きながら、誠実にたくさんのルールを守っているんです。

先生の世界ではそれが正しいのかもしれません。

 

最後に

僕は理系の教職学生でした。

毎週実験ばかりで忙しい中、週6で登校して「先生になりたい」と目を輝かせて話す友達がいました。

 

先生たちも忙しい。死ぬほどに働いている。

 

そんな人たちが、「ルールってなんだろう」とか「なんでルールは必要なんだろう」とか。

「教育ってなんだろう」とか「校則は何を教えたいんだろう」とか。

考え直す時間ってあるんですかね。。

 

僕は、「忙しさ」が「教育の本質を考える時間」を奪ってしまっているのではないかと思っています。

 

校則の議論はしばしば先生批判になってしまいます。

ただ、僕は、「先生が悪い!!」と言い切れない現状があると思っています。

 

次からは「校則と高校生の戦い 事例シリーズ」みたいなのを始めようと思います。

 

 

では。