校則がきらいな大学生のぶろぐ

「おかしいこと」には「おかしい」と言いたい。教育学で、中高生の力になりたい。

数ある校則裁判が負けてきたわけ

こんにちは。

WANIMAの「いいから」という曲が「四捨五入」の概念を教えるための教育的な歌だと信じています。

いがらしです。

(詳しいことは会った時に聞いてください)

 

2回目の投稿です。

本題ですが、今回は「厳しい校則を認める理論」の話を書きたいです。

 ↓目次↓

 

 

「校則裁判」ほとんどが負け

2017年の大阪の件以降、「ブラック校則」が話題ですが、歴史的に見ると、「校則」が注目されたのは初めてではありません。

 

特に1980年ごろから、校則に関わる裁判が何度も起こります。

その後、平成に入ると最高裁まで行く裁判も3つ出てきます。

 

しかし、その数ある裁判も、ほとんどが生徒側の敗訴で終わっています。

最高裁まで行った裁判は全て負けています。)

 

なぜ負けているのでしょうか。

過去の判例(裁判の結果)を調べていると、大きく分けて、2つの意見が後押ししていることがわかります。

 

「学校だから」「教育だから」(学校部分社会論、特殊権力関係論)

1つ目の意見は、「学校だから」「教育だから」というものです。

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特別権力関係論

学校というのは特殊な関係です。

日常の中で、基本的にお金を払って何かをしてもらう時、私たちは「お客さん」になります。

「お客さん」なので、サービスを提供する店員さんから怒られることはありません。

 

しかし、学校では、お金を払っているのに怒られます。

学校、教育は、お金を払って「教えてもらっている」という「特殊な関係」です。

 

学校はまだ未熟な子どもを、社会で生きていける人間に育てるという性質を持っているため、通常の社会とは違うということですね。

 

学校は通常の社会とは違う社会であり、教師と生徒は特殊な関係である。

そんなことが根拠になり、「厳しい校則」は「先生の裁量の範囲内」として認められてきました。

 

代表的な裁判だと、「熊本丸刈り裁判」(昭和60年)だと思います。

校則で「男子は丸刈り」と定めることが認められた裁判です。

 

若干、違う話ですが、学校教育法11条では先生の「懲戒権」が認められています。

「学校教育法」第十一条

 校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。(傍線はいがらしによるもの)

 やはり、先生は子どものことを教育している。

特殊な関係であることがわかります。

 

だから、厳しい校則も「教育として」認められる。

そんな意見があります。

 

 

「自分で選んだ学校だから」(在学契約論)

2つ目が、「自分で選んだ学校だから」という意見です。

この意見は非常にやっかいです。

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在学契約論

高校以上だと基本的に自分でその高校を選んで「入学」という契約をしています。

(厳密にいうと、契約をしているのは親ですが)

 

自分で選んでいる以上、その高校の校風や教育方針には従う必要がある。

そんな意見です。

 

校則裁判で有名な裁判の1つである「修徳学園高校パーマ退学事件」(平成8年最高裁)は、この意見が強く出た裁判だと、僕は思っています。

 

パーマをかけて自主退学勧告(退学を勧められること)をされ、退学したことに対する裁判です。

これは、「流行に流されない」というような教育を大事にしている校風の学校だったので、「入学」=「学校の教育理念への合意」だろうという意見でした。

 

1つ目の「学校だから」という意見は、その後若干(本当に若干ですが、)弱まったように見えます。

というのも、平成8年の「兵庫丸刈り訴訟」で次のようなことが言われます。

 

校則は、守るべき一般的な心得を示すにとどまり、生徒に対する具体的な法的効果を生じるものではない」

 

 いくら特殊な社会である学校でも、「校則は」「心得を示す」だけのものである。

そんなブレーキが若干、かけられます。

 

しかし、この「自分が選んだ学校だから」という意見はまだまだ根強いように思っています。

 

厳しいですねえ、、

 

最後に

校則で「男子は丸刈り」なんてことを決める校則、みなさんはどう思いますか?

 

すごく昔の話のようにも思えますが、2013年まで存在していました。

(鹿児島県奄美市の中学校)

けっこう、最近ですよね。

びっくり、、

 

今でも硬式野球部の「部則」として残っている学校はありますね。

野球部=丸刈りって、、不思議ですね〜

 

今回取り上げた「2つの意見」は、校則の議論を全く知らない人が読んでわかるようにまとめています。

 

なので、専門用語を使えばもっと正確に伝えられるのに、、

と思いながら、できるだけ簡単に書いたつもりです。

「もっと詳しく知りたい!」や、「ここ違くない?」みたいな意見はぜひいただきたいです。

 

実際の裁判の例を取り上げているところも、あまり正確ではありません。

裁判は、「その事例」について細かく論点を整理して、判決が下されるので、実際の判決はもっと様々な要因が考慮されています。

 

やっぱり、「書く」「伝える」は難しいなあ、と思いました。

もっと上手に文章が書けるようになりたいです。

 

そして、今回の「2つの意見」に関しても、様々な批判があります。

 

まあそれはまたいつか書きたいです。

 

今までは生徒側が負けてきたけれど、これからはわかりません。

裁判は世論の影響を受けます。

これからの「校則」の議論に大事なのは、

みなさんが「そんな校則おかしくない!?」

って思うこと。

 

いじめだって、「いじめられる奴が悪い」って思う人ばっかりだったら、なくならないもんね。

 

そんなことを考える今日この頃です。

では。

 

【参考】

○ D1-Law.com 第一法規法情報総合データベース

・「熊本男子中学生丸刈り校則事件」(判例ID:27803367),昭和60年11月13日

・「修徳高校パーマ退学訴訟上告審判決」(判例ID:28010883),平成8年7月18日

・「著名事件名なし(バイク3ない原則の裁判)(判例ID:27814314),平成3年9月3日

・「修徳学園バイク退学処分事件控訴審判決」(判例ID:27811301),平成4年3月19日

・「著名事件名なし(中学生生き埋め事件)」(判例ID:28021327),平成8年3月19日

・「自転車通学禁止事項無効確認等請求事件」(判例ID:29012286),昭和61年7月10日

・「事件名なし(神戸丸刈り裁判)」(判例ID:28010233),平成8年2月22日

坂本秀夫(1993)「校則裁判」,三一書房