校則がきらいな大学生のぶろぐ

「おかしいこと」には「おかしい」と言いたい。教育学で、中高生の力になりたい。

校則の「合理的な範囲」

こんにちは。

いがらしです。

最近、校則関係で大きなイベントがありました。

 

3月12日の都議会、予算特別委員会です。

日本共産党の池川友一議員が校則について質問をしていました。

都議会の録画はネットでみれるので、リンクを↓に貼っておきますね。

3月12日の録画で、3:47:38からが池川議員の質問です。

www.gikai.metro.tokyo.jp

 

今回のブログは、この池川議員と藤田教育長のやりとりで、僕が気になったことを勝手につらつら書きます。

 

特に何かと言うと、タイトルの通り、校則の「合理的な範囲」についてです。

過去の裁判の判決文などを引用しながら、「合理的な校則って何か」考えたいと思います。

 

このブログは中高生が読んでわかるような内容にしたいと思っていますが、今回は少し難しいかもです。

お許しを。

 

↓目次です↓

 

 

3.12 都議会 予算特別委員会でのやり取り。

とりあえず、個人的ハイライトのひとつとして、この場面。

(これから度々、議会での発言を引用しますが、録画を聞きながら僕が文字起こししたものなので、誤字などあるかもしれません。すみません。)

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3.12 予算特別委員会 池川友一議員

実際の議員さんたちの髪型A,B,C。

とても清潔感のある髪型ですが、(政治家なので当たり前かもしれませんが、、)これらの髪型すら、禁止にしている学校がある。という答弁でした。

学校の先生が山添議員(Aの議員さん)に指導しているところを見てみたいものです。

 

以下、実際の答弁を引用します。

(池川議員)

ABCと3つの髪型がここには示してあります。

この中で、校則で禁止されている髪型はどれだと思われますか。

また、認められていないとすれば、どのような理由だという風に思われますか。

 

(中略)

 

(藤田教育長)

校則は生徒が健全な学校生活を営み、よりよく成長していくことができるよう、必要かつ合理的な範囲で遵守すべき学習上、生活上の規律として校長の権限と責任において定められているものでございます。

校則は生徒の実態や卒業後の進路や保護者からの要望も踏まえて、学校ごとに定められているものであることから、全校一律ではございません

したがって、ただいまのご質問には、なかなか率直にはお答えすることができないと思っております。

 

そもそも会話が噛み合っていないことは置いておきますが、今回注目したいのは、校則が「合理的な範囲」で定められているということ。

 

えっ!?!?!?

校則って合理的なの!?!?

って思いませんか??

 

(池川議員)

前略

「なぜツーブロックはダメなんでしょうか」

 

(藤田教育長)

「先ほども申し上げましたが、校則は生徒が健全な学校生活を営み、よりよく成長していくことができるよう、必要かつ合理的な範囲で定められた、学習上、生活上の規律でございます。

お尋ねの髪型につきましては、それを示している学校もございますけれども、

(中略)

その理由といたしましては、外見等が原因で、事故や事故にあうケースなどがございますため、生徒を守る趣旨から、定められているものでございます。」

 

また出てきた!「合理的」!!

「外見等が原因で事故にあう」は合理的ですか??

もちろん池川議員はすかさず、

 

(池川議員)

「つまり今の話だと、『ツーブロックにすると事件や事故にあう可能性がある』と、、率直に言って意味不明ですよ。

驚きの答弁だと思います。

 

本当に、驚きの答弁です、、、

藤田教育長の文脈からすると、「ツーブロックにすると事件や事故にあう可能性がある」だから、「ツーブロック禁止」という校則は「合理的な範囲」内ってことなんでしょうか。

 

この驚きはここまでにして、ここからはこの「合理的な範囲」について過去の判例を見ていきたいと思います。

 

 過去の校則裁判から

校則裁判については、2本目の投稿でも触れました。

「特別権力関係論」や、「学校部分社会論」「在学契約関係論」などの、厳しい校則を容認する要因について書きました。

yumaigarashi.hateblo.jp

今回注目したいのは「合理的な範囲」です。

それでは、過去の裁判の判決文を見ていきましょう。

熊本丸刈り事件(昭和60年11月13日:熊本地裁

この事件は、熊本の学校で「男子は丸刈りとする」と書かれた校則に対して、訴訟を起こしたもので、原告は丸刈りじゃない髪型で卒業をしています。

この判例では次のようなことが書かれています。

 

「丸刈と定めた本件校則の内容が著しく不合理であると断定することはできない

 

 「男子は丸刈り」という校則、過去の判例では「著しく不合理」ではないことになっています。

そしてさらにこのようにも書かれています。

 

 「本件校則はその教育上の効果については多分に疑問の余地があるというべきであるが、著しく不合理であることが明らかであると断ずることはできない

 

「教育上の効果について多分に疑問の余地がある」って、裁判官言っちゃってるのに、「不合理ではない」という結論です。

 

なぜ不合理と言えないか、というと2本目の記事に書いたような内容が関わってきます。

「特別権力関係論」や「学校部分社会論」ですね。

 

修徳高校パーマ退学訴訟(平成8年7月18日:最高裁第1小法廷)

この裁判は名前の通りの事例です。詳細はまた別で書こうと思います。

この裁判でも、次のようなことが書かれています。

 

「 パーマをかけることを禁止しているのも、高校生にふさわしい髪型を維持し、非行を防止するためである、というのであるから、本件校則は社会通念上不合理とはいえず、生徒に対してその遵守を求める本件校則、民法1条、90条に違反するものではない」

 

 こちらもやはり、「社会通念上不合理とは」言えないらしいです。

パーマをかけたら非行に走るなんてデータあるんですかね、、

 

熊本の事件もパーマ裁判も、「不合理」とは言えない。

つまり、「合理的な範囲」ということでしょうか。

 

どちらも僕の感覚では納得ができない判決ですが、この判決にはさらに参照されている大元の裁判があります。

次はそれを見てみましょう

 

昭和女子大退学処分事件(昭和49年7月19日:最高裁第3小法廷)

この事件は、大学生が政治的な目的のために署名運動に参加し、政治的な目的を持つ学外の団体に加入していたことを大学が処分した事件です。

この判決で、のちの校則裁判に大きく関わる重要なことが書かれています。

 

事件の発端以来退学処分に至るまでの間に被上告人大学のとった措置が教育的見地から批判の対象になるかはともかく、大学当局が上告人らに同大学の教育方針に従った改善を期待しえず教育目的を達成する見込が失われたとして、同人らの前記一連の行為を「学内の秩序を乱し、その他学生としての本分に反した」ものと認めた判断は、社会通念上合理性を欠くものであるとはいいがたく、結局、本件退学処分は懲戒権者に認められた裁量権の範囲内にあるものとして、その効力を是認するべきである。

 

ほうほう、

「合理性を欠くもの」でない限り、「懲戒権者に認められた裁量権の範囲内」だそうです。

この判例がのちの校則裁判でも度々参照され、「合理的な範囲」の議論を展開しています。

 

でも、2つ注意して欲しいのです。

 ①この判決では「合理性を欠くものではない」と言っているのに対し、ほかの判決では、「著しく不合理ではない」と、若干、言い回しが消極的になっています。少し拡大解釈をしてないでしょうか

 

②これは私立大の大学生の政治的行為に関する処罰に対しての裁判です。そのまま中高の校則裁判に適用してもいいんでしょうか。

 

裁判官は法律の専門家です。教育の専門家ではありません。

常に議論しているのは「法的にどうか」なのです。

 

例えば、熊本の裁判では、「本件校則はその教育上の効果については多分に疑問の余地がある」と言いながら、原告に敗訴を言い渡しています。

昭和女子大の裁判では、「教育的見地から批判の対象になるかはともかく」と完全に教育議論は諦めています。

 

裁判官のスタンスは「僕たち法律の専門家だから、教育のことはきっと先生が、その子どもに合わせて判断してるんでしょ。それなら任しちゃお。」みたいな感じに見えます。

 

教育長の答弁

もう一度引用します

(藤田教育長)

校則は生徒が健全な学校生活を営み、よりよく成長していくことができるよう、必要かつ合理的な範囲で遵守すべき学習上、生活上の規律として校長の権限と責任において定められているものでございます。

校則は生徒の実態や卒業後の進路や保護者からの要望も踏まえて、学校ごとに定められているものであることから、全校一律ではございません

したがって、ただいまのご質問には、なかなか率直にはお答えすることができないと思っております。

 

僕はこの「合理的な範囲」という言葉選びが意図的なものに感じてなりません。

ツーブロックにすると事件や事故にあう可能性がある」なんて言い訳がましい理論。

エビデンスにも基づかないし、とても合理的とは思えません。

 

しかし、こういった校則は歴史的に「合理的な範囲」とされてきました。

教育議論を避けた裁判官によって、です。

藤田教育長の意見は「そっち側」の人たちのものに感じてしまいます。

 

そして、「校長の権限と責任において定められている」と、まるで「やってるのは校長だから僕は知りません」みたいな言い方です。

 

東京都の教育の長はこんな感じなのか、と苦しい現実を見た気持ちです。

 

最後に:じゃあどうしよう

裁判は基本的に、過去の判例に従います。

判例変更は最高裁判所しかできないからです。

つまり、3回目の裁判に行くまで、これからの校則裁判は基本的に負ける可能性が高いです。

 

そして、最高裁判所の長官は内閣によって任命されます。

最高裁は内閣の意向を強く受けます。

校則裁判は厳しいです。

 

よって、今の校則の現状は、校則によって苦しんでいる誰かが、学校を訴えるだけでは到底太刀打ちができない状態です。

 

じゃあどうしよう。

 

みんなで考えたいですね。

「ルールだから従うの?」

とか

ツーブロックにしたら事故にあう!?」

とか

ちょっと、おかしい「学校独自のルール」が蔓延しすぎています。

 

 

教育ってなんだっけ。

何を教えたいんだっけ。

「校則」ってなんのためにあるんだっけ。

 

裁判なんかしなくたって、みんなが諦めずに考えて、声を出していけば、もっといい学校になると思うんです。

 

考えるのって疲れるけど、今までの当たり前を考え直すのって、すごく大事なことだと思うんです。

 

自分が受けてきた教育をそのままコピーしていくんじゃなく、みんながその時代背景や、苦しんでいる人の声を聞きながら、「もっといい教育」を目指し続ける。

 

教育はそんな世界だったらいいのに。

そんなことを思う都議会でした。

 

では。