校則がきらいな大学生のぶろぐ

「おかしいこと」には「おかしい」と言いたい。教育学で、中高生の力になりたい。

「女子はスラックスも可」という校則2

こんにちは。

いがらしです。

前回同様、福島県の公立高校の事例です。

 

↓前回はこちら↓

yumaigarashi.hateblo.jp

 

今回は、この校則の当事者、本人と話したことについて書きます。

考えたいところがいくつかあったので、本人とのラインでのやりとりをそのまま引用しながら、紹介します。

 

↓今日の目次です↓

 

 

高校生Aさんとのやりとり

(いがらし)

「スラックスの話、詳しく教えて?」

 

(Aさん)

「入学前の新入生説明会でスラックスが買えるってなって、すぐにその日に申し込みしようと思ったら、出来なくて、入学したら、担任に言ってくださいと言われました。
入学式当日に担任に言ったら、申込用紙が来たのが、3ヶ月後ぐらいにきて、採寸が梅雨すぎぐらいだったかな……
申込用紙はなぜか、申込用紙のコピーに女子用スラックスってボールペンで手書きで書かれてました。
スラックスがきたのが、夏休み後で、なぜか、冬用スラックスが先に届いて、暑い日も冬用スラックスを履いてました。
夏用スラックスがきたのが、ことしの1年最後の頭髪検査中に渡されました。
 長文ですいません
 もっと深堀して聞きたいことあったら、全然聞いてくださいね!

 

まとめると、

新入生説明会:「スラックスが履ける」と知るが、申し込みは入学式以降、担任へと案内される。

入学式当日:担任に申し出るが、申し込みできず。

3ヶ月後:申し込み用紙が手に入るが、「女子用スラックス」の欄は無く、手書きで書き足して申し込む。

夏休み後:やっと「冬用」スラックスが届く。

1年の終わり:今更「夏用」スラックスが届く。

 

そもそも前回書いたように、「女子はスラックスも可」という校則はこれ自体に議論が必要です。

しかし、それだけでなく、この校則の「実態」にも大きな問題があるように思うのです。

 

この事例では、「女子もスラックスが履ける」という説明をしておきながら、注文したスラックスが揃うまでに約1年かかっています。

ルールの上で「履ける」ことになっていても、制度が整っていなかったり、実態が伴っていなければ、とても「履ける」とは言えないでしょう。

 

問題はこれだけではありません。

 

(いがらし)

「制服採寸も、スカートを履く前提で採寸されてるんよね?」
「スカートですかースラックスですかーみたいなのは無し??」

 

(A さん)
「そーですねぇ。採寸のときから、スラックスあるって知らされてないし、採寸してから新入生説明会のときに、スラックスあるって知るので、結局はスカート履けっていう、意味と捉えられますね。
採寸する人からも、スラックスですかー?スカートですかー?って聞かれないですし」

 

この事例、もうお気づきかもしれませんが、このAさんはスカートも買っています

 

採寸は合格発表の日にあったようで、そのまま流れるように採寸が行われました。

言われるがまま採寸ををしてもらうわけですが、その段階では「女子はスカート」という前提で採寸されてしまいます。

「女子はスラックスも可」という校則は、実態と大きく乖離しています。

 

もちろん、次々に新入生が押し寄せる中、「スカートですか?スラックスですか?」と聞くのは効率的ではないかもしれません。

ほとんどの生徒がスカートを選ぶなら、「いちいち聞かなくてもいいか」と思うかもしれません。

 

これこそが今回考えたい問題です。

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僕たちはマジョリティの方を向いている

僕たちは度々「フツー」とか「アタリマエ」というものを口にします。

それは多くの場合「マジョリティ」のことを指しています。

 

「あの人はフツーじゃない」

「そんなんフツーじゃん」

「フツーそうじゃない?」

 

どれも日常でよく耳にする言葉です。

僕も使うことがあります。

でもこの「フツー」は、自分の周りのことを、安易に一般化してしまう危険な言葉。

「自分の価値観」を、「みんなの価値観」だと思い込んでしまう危険な言葉です。

 

何かをフツーとすることで、フツーじゃない人が生まれます。

今回取り上げている校則はまさにその最たる例なのではないでしょうか。

 

確かに、ほとんどの人がスカートを履くなら、いちいち「スカートですか?」と聞くのは非効率的かもしれない。めんどくさい。

だから僕たちはマジョリティの方に向いてしまう。

 

その中で、「どうせみんなスカートだよね」と思ってしまった瞬間に、マジョリティを「フツー」にした瞬間に、その「フツー」に入れなかった人が、誰にも気づかれないところでそっと傷つく。

 

「ふざけんな!!!!」と怒れれば、

「おかしいだろ!!!」と訴えられれば、

まだいいけど。

 

「もし自分がフツーだったら」

「フツーに生まれてこれたら」

「何でみんなと違うんだろう」

そう考えてしまう人も少なくないと思うんです。

 

「もっと足が速かったら」

「もっと勉強ができたら」

「もっと肌が白かったら」

いろんな場面で「フツーじゃない人」はいます。

 

僕は「マジョリティ」を「フツー」と呼ぶ学校より、「いろんな人がいること」を「普通」と呼びたい。

効率を求めてマジョリティの方に向くより、少し非効率でも、いろんな人が生きやすい学校の方が、僕は好き。

 

みんなはどうでしょうか。

 

最後に

この福島の高校、「女子はスラックスも可」としているのは「寒さ対策」だそうです。

じゃあ何故「夏用スラックス」が存在するんでしょう。

何か本心を隠しているような気がします。

学校は、「女子はスラックスも可」とすることに、何かタテマエを用意する必要があるんでしょうか。

 

では。