校則とは何か〜営造物理論〜
お久しぶりです。
いがらしです。
約4ヶ月ぶりの更新です。
今回は、以前までに紹介していたような内容を少し深掘りしていこうと思います。
内容はタイトルの通り、「校則は何か」です。
校則って何でしょうか。
「学校の中の法だ」
「ルールを教えるための教材だ」
「就業規則のようなものだ」
今回書きたいのは、そういう精神論ではなく、「法的にどう位置づけられてきたのか」です。
ということで紹介したいのが、「営造物理論」です。
↓↓今回の目次↓↓
大方商業バイク事件 高知地裁判決
「営造物理論」の紹介する前に、営造物理論が顕著に現れている判例を紹介します。
【1998年6月6日高知地裁判決】
「高等学校は、生徒の教育を目的とする公共的な施設(営造物)であるから、その校長は法令上の根拠がなくても、生徒の生徒指導、学校の設置目的を達成するために必要な事項を、行政立法たる営造物規則(内規)として、校則、生徒心得等の形式で制定し、これによって在学する生徒を規律する包括的権能を有すると解せされる。…(当該校則の内容は)学校の設置目的を達成するのに必要な範囲を逸脱し、著しく不合理(でないかぎり)無効とはいえず、生徒はこれに従うことを義務付けられる。」
校則は「営造物規則」である。
そのため、「法令上に根拠がなくても」「生徒を規律する包括的権能を有する」そうです。
「営造物規則」すごいパワーですね、、
じゃあ、そもそも「営造物」って何でしょう。
グーグル先生!
営造物:建造物。特に、国または公共団体により、公共の使用のために設置される施設。学校・図書館・道路・公園など。(デジタル大辞泉)
なるほどなるほど。
図書館、道路などと同じ、「公共団体」が作った「公共の使用」のための施設。
それが「営造物」ということですね。
そして、営造物を公が目的を持って作る場合がほとんどです。
公園であれば「遊び場を作る」とか、
図書館であれば「本を貸す」とか。
イメージ湧きやすいですよね。
その目的を達成するために、「営造物利用規則」を作ることができます。
図書館で、みんなが本を借りることができるように、貸し出し期間を決めたりしますよね。
校則はこの「営造物利用規則」だという見方があるんです。
たしかに学校は「教育」という公的な目的に作られた営造物ですからね。
特別権力関係
以前にも紹介しましたが、厳しい校則を認める理論の中に、「特別権力関係論」というものがあります。
(↓前の記事↓)
この根拠として登場するのが、先ほどの「営造物理論」です。
営造物は公の目的を達成するために作られたものです。
そのため、営造物を使用するときは、いつも通りお店に入る時の「お店とお客さんの関係(一般権力関係)」とは違う関係であると言われています。
これが「特別権力関係」です。
一般権力関係と違い、特別権力関係は、「公的な目的」が前提とされています。
それゆえに「特別」だと言われています。
厳しい校則を肯定する論理として、「特別権力関係論」の話をすると、「そんな、、、」みたいに絶望する人がたまにいます。
特別権力関係論だけを見ると、「法律関係なく、大きな権限をもっと好き勝手にルールを作れる」みたいに解釈してしまいます。
しかし、その原型の「営造物理論」を辿ると、批判の可能性が見えてきます。
営造物理論の限界
先ほどから述べているように、この「学校が好きにルールを作れる」という状況の一部は特別権力関係論によって肯定されています。
そして、その「特別権力関係」は「営造物利用関係」によるものです。
この「営造物」という概念は様々な法令によって規定をされていますが、その一つに「地方自治法」があり、このようなことが書かれています。
地方自治法第二百四十四条
「普通地方公共団体は、住民の福祉を増進する目的をもつてその利用に供するための施設(これを公の施設という。)を設けるものとする。
2 普通地方公共団体(次条第三項に規定する指定管理者を含む。次項において同じ。)は、正当な理由がない限り、住民が公の施設を利用することを拒んではならない。
3 普通地方公共団体は、住民が公の施設を利用することについて、不当な差別的取扱いをしてはならない。」
ここでは「公の施設」という言葉で営造物が規定されています。
「正当な理由がない限り、住民が公の施設を利用することを拒んではならない」
「不当な差別的取り扱いをしてはならない」
これが「営造物規則」の限界です。
自分が経験した校則はどうでしたでしょうか。
利用を拒まれたり、不当な差別はなかったでしょうか。
まあ、そんな簡単な話ではないんですが。
現実の解釈
以前に、様々な校則が「合理的」とされてきた歴史について、少し書きました。
最初に引用した判例でも、校則は「学校の設置目的を達成するのに必要な範囲を逸脱し、著しく不合理(でないかぎり)無効とはいえず、生徒はこれに従うことを義務付けられる。」と書かれています。
校則は営造物規則です。
「公的な目的」のためなら好き勝手にルールを作ることができます。
そして、「教育」は「公的な目的」です。
そのため、現実の解釈として、今まではほとんどの校則が「教育のため」という理由で合理化されてきています。
事実上、校則には限界がありません。
地方自治法でも「正当な」「不当な」という表現がされています。
何が合理的で、何が正当なのか。
「髪が長い」という理由で教室に生徒を入れないのは「正当」ですか。
清潔感のために丸刈りを強要することは「正当」ですか。
事件、事故防止のためにツーブロックを禁止することは「合理的」ですか。
僕は「教育」というものに、漠然とした「良いことをしているイメージ」を持つ人が多いように思います。
ただ、本当に何が「合理的なのか」を考え直さないと、どこまでも無制限に子どもを傷つけることができる仕組みが日本ではできあがっています。
この議論は1980年代から続いています、
新しい議論ではありません。
この40年、程度は変わっても、同じことが続いています。
僕はこんな仕組み、自分の子どもの時代には残したくない。